116 KBH所蔵 貴重本紹介 その18「復刻版 羅馬書」
〈蔵書番号307書架C-5〉訳者:H.G.ブランド、首藤 新蔵、乗松 雅休(のりまつまさやす) 1899年(明治32)刊行
H.G.ブランドら3名によるロマ書の翻訳である。当時京城にいた3名が原典よりロマ書を翻訳した。原本は青山学院大学図書館が所蔵する。
冒頭は次のようになっている。「使徒バウロ、ロマ人に贈れるふみ書、第一章 イエスキリストのしもべ、召されたる使徒バウロ、神の善きおとづれ音信の為に別にせらる。・・・」本文に節はなく、上欄に付し、頭注、引照付きとなっている。
乗松は1887(明治20)年友人の首藤と共に明治学院に入り神学を学ぶ。1888(明治21)年イギリスより来日したプリマス・ブレズレンの宣教師H.G.ブランドは教会組織や信条を拒否する活動を開始しており、ブランドと出会った乗松らはその影響を受け、明治学院を退学、日本基督公会も脱会し、無制度を唱える運動の伝道者となった。
乗松は1896(明治29)年日清戦争が終わると、単身で朝鮮に渡り、ソウル、水原を中心に伝道した。ブランド、首藤新蔵らとソウルでローマ書を翻訳し、1899年「新約聖書羅馬書」として出版した。
乗松は日本のプロテスタント最初の海外宣教師である。彼は25年間朝鮮人の兄弟として朝鮮を愛し、朝鮮語で伝道した。彼は「朝鮮語鑼馬書」(1911刊)も残している。病気のため1914年に帰国する。
1921(大正10)年に57歳で死去するが、遺言により白洋舍の創設者五十嵐健治らが朝鮮に遺骨を運んだ。現在も韓国に乗松の記念碑がある。これは、破壊されずに残った唯一の日本人の記念碑である。生きるも主のため、死ぬのも主のためと書かれている。
写真は初版本の内容とその表紙である。(「聖書翻訳の歴史」p.178、9及び「日本語聖書翻訳史」p.261,2参照)。
(展示委員 池田憲廣)