115【巻頭言】「汝の御言葉は、我が脚のともしびなり」オーガスチン小林 尚明 師
汝の御言葉は、我が脚のともしびなり
私の所属する日本聖公会という教派は、普通生まれてすぐ幼児洗礼を授けます。私も生まれて8か月目のイースターに洗礼を授けられました。新任牧師オーガスチン岡上 典夫司祭が来られ、最初の洗礼式ということで、その岡上牧師の洗礼名「オーガスチン」をいただきました。生後8か月ですので、その時の記憶はありません。
そして、中学1年生の時、堅信式(信徒按手式)を当時の教区主教テトス中道 淑夫師父から受けました。その記念に聖書に書いていただいたみ言葉が「汝の御言葉は、我が脚のともしびなり(詩119篇)」です。そのいただいた聖書をよく読んでいました。特に福音書はよく読みました。ベッドの枕元に置いていて、眠れない夜はよく読みました。「そのイエス様のみ言葉は、左のページの上の段、前からこのくらいのところにある」と言えるくらいに読んでいました。この聖書(1955年改訳口語)を神学校の卒業まで使いました。今、振り返ってみて、聖書のみ言葉がその時その時の歩みを照らして下さったと思います。
主教になって「どこか一つ、聖書から感銘を受けた箇所を教えてください」と問われることがあります。その時に私が引用する箇所は、あの中学時代むさぼるように読んだマタイによる福音書6章にあるみ言葉です。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」です。
当時色々なことに悩み、どうやって明日を迎えればいいのかわからない私にとって、空の鳥を養ってくださる「天の父」が私に目を留め、必要なものを与えてくださる。明日のことまで思い悩む必要はない、というイエス様のみ言葉は、心に平安を与えてくださいました。そして、そのみ言葉は、今も思い悩むことが多く、進むべき方向を見失いがちな私を支えてくださっています。
聖書の一つのみ言葉が、人生を照らし、勇気を与え、明日に向かって生きていく力を与えてくださいます。この聖書のみ言葉を伝えたいし、イエス様のすばらしさを証ししたいと思います。
今年6月の社員総会で、理事の一人に加えていただきました。
微力ではありますが、神様のお働きにご奉仕させていただきたいと考えています。
クリスチャンセンター神戸バイブル・ハウス理事
日本聖公会神戸教区主教
オーガスチン小林 尚明 師