KBH所蔵 貴重本紹介 その5 ジョナサン・ゴーブル訳 摩太福音書(マタイ福音書・口語・復刻版)

今回は、玄関ロビーのケースOに展示の貴重本を紹介したいと思います。
ジョナサン・ゴーブル(1827年~1896年)の訳した摩太福音書(マタイ福音書・口語・復刻版)です。彼は波瀾万丈の生涯を送っています。ゴーブルはニューヨーク生まれ、19歳で強盗未遂、2年間服役し、刑務所で信仰を持ちます。

24歳で、通商条約締結の使命で日本に遠征するペリー艦隊に水夫として参加、1853(嘉永6)年浦賀に入港、初めての来日でした。ゴーブルはその後、米バプテスト宣教協会日本伝道団宣教師となり、彼の妻子及び漂流民の仙太郎と共に1859(安政6)年、日本に派遣されます。1860(万延元)年、神奈川に上陸し、伝道に従事します。

1863(文久3)年からゴーブルは翻訳作業を開始します。ルター、メランヒトンが聖書のドイツ語翻訳に従事している絵を掲げて翻訳に打ち込みます。ゴーブルは、ほぼ10年を費やして四福音書と使徒行伝を翻訳します。

しかし、まだ禁教下であり(キリスト教禁制の高札が撤去されるのは1873、明治6年)、出版を引き受ける版木屋はなく、横浜に出向いてキリスト教文書であることを伏せて、1871(明治4)年、「摩太(マタイ)福音書」を刊行します。展示本はその復刻版です。

日本語訳としてはギュツラフ、ウイリアムス、ベッテルハイムについで4番目、国内出版では初でありました。しかし、出版後、本書はすぐ役人に没収されています。
その後、ゴーブルにとって不遇な時代が始まります。まず、同じバプテスト派の宣教師ネイサン・ブラウンと不和になり、次に洗礼を授けた日本人を殴打し、教会を脱会、ミッションからも宣教師を解雇されます。1879(明治12)年、米国聖書会社から聖書販売人(コルポーター)に採用され、関東を中心に京都、岡山、函館など各地に聖書販売及び伝道を行います。

1883(明治16)年、帰米。1896(明治29)年セントルイスのバプテスト診療所で老衰により没します(69歳)。性格の激しい彼は、聖書の翻訳権の独占を主張し、ヘボンらの共同翻訳方針と対立しましたが、彼個人が翻訳した聖書は、口語体を用い、現代的な発音による平仮名書きであり、漢訳の影響はほとんど見られません。彼はすべての日本人に読まれることを期待して翻訳したのです。

ゴーブル訳「摩太福音書」は、つぎのような訳文になっています。
(五)1 そこで おほぜいを み イエスウ やまゑのぼりて すわり たまうた ときに おでしが かれに まいつた 2 かつ イエスウ くちを ひらき これらに おしへりまうすには 3 それ こころに まづしき ものは さいわい じや けだし てんの こせいじ そか ひとの もの なり 4 かなしむ ものはさいわいじや けだし その ひと なだめられよう 5にうわの ものは さいわい じや けだし その ひと せかいを そうぞく せやう 6 ぎを したい うゑ かつゑる ものは さいわい じや けだし その ひと みちませう(マタイ5 : 1~6 山上の説教)。 

2020.11.5(展示委員会 池田憲廣)