29 神戸聖ヨハネ教会(103)

神戸市須磨区稲葉町4-2-17 TEL 078-731-5385

●兵庫講義所、西代講義所、須磨准教会
1912年神戸市長田区松本通に神戸昇天教会付属として開設された「兵庫講義所」が聖ヨハネ教会の前身である。1923年に神戸昇天教会から49名の信徒らが移籍し、兵庫講義所から独立し「須磨准教会」としての新しい歩みを始めている。この須磨准教会の最初の専従教役者は、1924年に赴任した八代斌助執事(のちの八代斌助神戸教区主教)である。

●神戸聖ヨハネ教会《創立》~《戦中》
1926年6月10日に当教会の設立許可が下り、SPGから1万円の資金提供を受け、現在の土地を購入し(地代:6528円)神戸昇天教会の様式を取り入れた礼拝堂と牧師館を建設した。同年10月24日、バジル・シンプソン主教のもと献堂式が執り行われ、「須磨聖ヨハネ教会」と命名された。教会の創立は、この時を起点としている。1945年3月の神戸大空襲では、教会周辺が一面の焼け野原となり、礼拝堂は焼夷弾の直撃受けたが、塩原伝道師の懸命な消火活動によって白い十字架の教会は焼失を免れ、焼け出された周辺地域の人々の避難所としての役割も果たした。

《阪神淡路大震災からの再生》

教会には被災した近隣の人たちが集まり、公的な避難所ではなかったが、当初40名近くの人たちが避難生活を始めて、集会室は人であふれ返っていた。救援活動は、全国から聖職者や信徒の方たち、学校関係者などが、集まり、その活動は数か月に亘って続けられ、ボランティアの基地としての機能も果たしていた。

また近隣の被災者の方々に配る「炊き出し」を始め、100食程の食べ物を毎日作った。当時の牧師であった中村豊司祭は『神は私たちに幸福を与えてくださる。しかし、時には苦難も与えてくださる』と題する『阪神・淡路大震災発生から48日間の私的報告書』を残している。

1996年2月4日の信徒総会では、救援活動も一段落したことを受けて教会再建が決議され、新しく建築された神戸聖ヨハネ教会は、管区復興基金と多くの方々の献金をもって、総工費約1億円で完工し、1998年9月23日、古本純一郎主教のもとで教会聖別式が執り行われた。

この礼拝堂は、阪神・淡路大震災で逝去された方々を追悼すると共に、神戸の復興を祈念し「阪神淡路大震災復興記念聖堂」と命名された。聖堂内には、ヨハネ修道院(須磨区)より寄贈された2枚のステンドグラス、地震の時の人々の苦しみを描いた震災画「神戸」(尾崎和子氏作)、新たに制作した聖ヨハネのシンボルマークである「鷲」のステンドグラス、地震の前の平和な神戸、地震による混沌、復興に向かう神戸の3部作の震災ステンドグラス(作 : 立花江津子氏)が取り付けられた。

震災ステンドグラス

「震災を忘れない・語り継ぐ」というメッセージは、阪神淡路大震災から再生した当教会の宣教活動の中心である。2013年から毎年、震災記念礼拝に続き「震災を忘れない~YOSENABEコンサート~」が開催され、その収益金は、災害地支援のため各方面に捧げられている。教会バザーの収益の一部などで、東日本大震災や熊本地震の被災地支援も継続している。

これからも「阪神淡路大震災復興記念聖堂」としての役割を大切にし、阪神淡路大震災の記憶を伝え続けること、そして、大震災からの復興を、証し続けることが、未来の世代に対する神戸聖ヨハネ教会の使命と責任であることを忘れずに、地域社会や関係学校に開かれた教会として、新たな神戸聖ヨハネ教会の歴史を歩んでゆきたいと考えている。