122 【編集後記】鎌野 直人師
昔は電車に乗ると、おじさんたちが新聞を広げて読んでいる姿を見たものです。最近では様子が一転し、皆がスマホを見て、何かを読んでいます。他ならぬ私も、電車に乗れば、本を読むか、スマホを見るか、どちらかです。皆が何かを読んでいるので、基本的に電車の中は静かなものです。
ところが、もし全ての人が声を出して読んでいたらどうでしょう。たいへん騒がしい車中になるでしょう。幸いなことに、現代人は「黙読」するので、静かな車内で読書を楽しめるのです。
ところが、使徒言行録8章を読むと、エチオピア人の宦官がイザヤ書を読んでいるのがフィリポに聞こえたと書かれています(8:30)。宦官はギリシア語聖書を音読していたのです。どうも当時の社会では、読書は音読が普通であったようです。さらに、現代日本と比較すると「文字が読める人」が格段に少なかった当時のことです。多くの人は聖書を音読されるのを聞いて、その内容を理解していたのです。
近年に新たに翻訳された聖書が音読され(ときにはドラマ風にされて)、聞くことができるようになったのは、いい意味で、昔に戻っていることなのかもしれません。ウォーキングのお伴にどうぞ。
クリスチャンセンター
神戸バイブル・ハウス 理事
関西聖書神学校 校長
鎌野 直人師