114号【巻頭言】「鋭いことば」:鎌野 直人 師
クリスチャンセンター神戸バイブル・ハウス理事
関西聖書神学校校長・日本イエス・キリスト教団姫路城北教会牧師
鎌野 直人 師
「鋭いことば」
誰かと会話しているとき、その人が自分の心の奥底にあるものに気がついているのではないか、と思い、慌てたことはないでしょうか。「この人にはあのことは話してはいないのに、あたかもそのことを知っているかのように話してくる」という経験です。対人関係の感性が研ぎ澄まされた人は、相手のことばの端々からその人の本音などを見抜けるのも事実です。
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」(ヘブル4:1 2[新改訳2017])は、聖書のことばには人の心の奥深いところを見抜き、そこに切り込んでくる力があることを示唆しています。もちろん、慰めのことばも聖書には数多く含まれてはいますが、隠しておきたいことを曝き、深くえぐる、剣のようなことばを聖書に見出すことができるのです。
ですから、聖書に慰めのことば「のみ」を見出そうとする人は、ときに大きく失望するばかりか、「もう聖書に触れたくない」とさえ思うようになります。柔らかいものを触っているつもりでいたのが、突然に切れ味の良い刃物に触れて、けがをしてしまうようなことに遭遇するからです。神の前に立つこととはこのようなことだ、と聖書のことばは私たちに教えるのです(ヘブル4:13)。
人の本性を見抜く鋭さをもった人とともにいることが辛くなるときがあるように、聖書のことばの前に出ることが耐えられなくなることもあるでしょう。しかし、そのような現実を十分に理解し、同情してくださるもうひとつの神のことば、すなわち大祭司であるキリストがおられる事実は大きな励ましです(ヘブル4:14)。鋭い剣が刺し貫くことで終わらず、問題の箇所を摘出し、そこを癒やす方がおられるのですから。