106号【巻頭言】「コロナ禍の中、聖書を読む」鎌野 直人師

KBH理事、関西聖書神学校校長、日本イエス・キリスト教団 姫路城北教会牧師 鎌野 直人師
コロナ禍の中、聖書を読む

クリスチャンセンター神戸バイブル・ハウス 理事
関西聖書神学校校長1
日本イエス・キリスト教団 姫路城北教会 牧師
鎌野 直人 師

聖書は古代の文書が集められた文集です。21世紀の日本に生きる私たちとは時代も地域も文化も経済も政治も言葉も違う人が書いたものです。それでもなお、現代に至るまで長い年月にわたって、聖書のことばは新鮮に人々に語りかけています。歴史と文化に根差しつつ、それらを超えて語りかける力があるからでしょう。

コロナ禍のような疫病の流行は、当然、歴史の中で繰り返し起こってきました。しかし、今、私たちが直面しているのは、グローバル化が進み、医療が進み、寿命が長くなり、人口が増大している中での疫病の流行です。過去の対応をそのままコピーしただけではうまくいかない、新しい出来事でもあります。

それでもなお、聖書は私たちに語りかけてきます。
主よいつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。
いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。いつまで私は自分のたましいのうちで
思い悩まなければならないのでしょう。私の心一日中悲しみがあります。
いつまで敵が私の上におごり高ぶるのですか。(詩篇13:1-2[新改訳2017])

コロナ禍とそこから派生するあらゆる「敵」が驕り高ぶる現状の中で、詩篇の嘆きの歌に私たちは自分の声を見出すのです。

それとともに、
だれが私たちの神主のようであろうか。
主は高い御位に座し身を低くして
天と地をご覧になる。(詩篇113:5-6[新改訳2017])

自らを低くして、この現状を見て、思い出して、行動を起こされる神の姿を見出すのです。

「コロナ禍だから○○○」と言われていますが、少なくとも「コロナ禍の中、聖書を読む」ことは聖書を持つ私たちに与えられた特権ではないでしょうか