KBH所蔵 貴重本紹介 その7 大正改訳新約聖書
今回は、展示談話室のケースAの中段に展示されている大正改訳新約聖書を紹介いたします。
明治時代に入って、J.C.ヘボン、S.R.ブラウンらが翻訳委員社中を結成して翻訳した新約聖書は1880(明治13)年に完成しました。その頃は近代の日本語表現がまだ定まっていない時代でした。その後日本は近代国家としての形態を整えて行くと共に、近代的な国語辞典が次々と刊行され、言文一致体運動や新体詩運動が起こって、日本語環境は大きく変わって行きました。また、英語訳聖書も従来、主として用いられてきた欽定訳から英国で、オックスフォード、ケンブリッジ大学等の学者で組織された翻訳委員会の手で、改訂訳聖書が刊行されました(1885年)。
こうした環境の変化に伴い、翻訳委員社中が訳した新約聖書も改訂する動きが出てきました。1910(明治43)年、D.C.グリーンを委員長に、宣教師側の委員としてH.J.フォス、C.S.デビソン、J.G.ダンロップ、日本人側委員として藤井寅一、松山高吉、別所梅之助、川添万寿得らによる改訂新約聖書の翻訳が始まり、1917(大正6)年に完成しました。途中で委員長はグリーンからD.W.ラーネッドに、委員の一人ダンロップもC.K.ハーリントンに代わっています。
翻訳された聖書の文体は文語訳ですが、平易で口語に近づいています。原文に忠実で、韻文と散文が区別され、学問的にも文学的にも優れたものとなっているため、近代日本語の一つのモデルとなり、文学にも大きな影響を与えることになりました。
この大正改訳新約聖書は明治訳旧約聖書と合わせて、文語訳聖書と呼ばれ、口語訳聖書の刊行(新約1954年、旧新約合本1955年)まで、日本で最もよく使用される聖書となりました。明治訳では各書名が漢訳聖書の影響によって、「馬太傅(マタイでん)」、「馬可傳(マルコでん)」などとなっていました(多分中国語の発音がそれぞれマタイ、マルコに近かったのでしょう)が、大正改訳では「マタイ傅」、「マルコ傅」と、呼称が改められています。「使徒行伝」だけ明治訳のままで、あとは総て、「マタイ」や「マルコ」のように書名の呼称が改められました。
ニューズレター103号の「貴重本紹介その5」でゴーブルを紹介しましたが、彼は、1874、5年頃、米國聖書會社の委託を受け、聖書頒布人として新約聖書の分冊を小さな手押し車に入れ、東京その他を巡回頒布しつつ伝道していました。その折、聴衆の中には「馬可傳(マルコでん)」の書名を見て、「バカでん」だと言って笑ったり、「馬太傅(マタイでん)」を牧畜の本だと勘違いしたと言う話が伝わっています。あの怒りっぽいゴーブルのことですから、きっと腹を立てたことでしょうね。
2021.3(展示委員会 池田憲廣)