103号【巻頭言】:松浦 信行 師

副理事長 松浦 信行 師

神戸バイブル・ハウス副理事長
松浦 信行 師

今年の初めから、新型コロナウイルスの流行によって、色々なことが変わりました。3月に予定されていた教会での講演はすべて中止、私が暮らしている神学院では緩い外出禁止で、食事はすべて院内で取るようになり、一日の食事が弁当という日もありました。授業も、公共交通機関を利用している方は休講、新幹線や飛行機利用の方はリモート授業で、礼拝は歌わない静かなもので、学生たちもいつもとは違った雰囲気に疲れていました。

徐々に、普段の動きが戻ってきたときに、新入生はカバルス研修会という南米で起こった人間性の研修会に参加できました。戻ってきた学生にどんな研修なのかと尋ねたときに、「利き腕でない手で、絵を描く研修がありました」との答えが返ってきました。

その話を聞いて、私は昔、彫刻家の舟越保武氏を訪ねたことを思い出したのです。戦後佐藤忠良と共に、日本の彫刻界をリードしてきた方で、福岡の祈りの家(黙想の家)の聖堂に、十字架像を上司がお願いして、そのお礼の挨拶にと上司に代わって訪ねたのでした。

「ちょうど、前に造った十字架像の型が残っていますので、それを使って、聖堂に合わせて作りましょう。」ととても優しい眼差しで、語ってくださったことを覚えています。そしてアトリエを案内してくださり、息子さんの彫刻も見せていただきました。

しばらく経ったとき、船越氏の左手のデッサンが人気との新聞記事に出会いました。船越氏の利き腕は右手で、長崎26殉教者記念像、島原の乱を描く原の城、病醜のダミアン、田沢湖のたつこ像などが有名ですが、脳梗塞で右半身が不自由になり、リハビリを重ねて左手で創作を続けていたのです。その記事には、技術やうまさなどでは右手にかなわないが、左手で描くと、作者の根源が露わにされ、作品の迫力やうめきが作品から直に伝わってくると記されていました。利き腕でうまく表現できるものを、利き腕を失ったとき表現したいと思う心が、湧き起こってくるというのです。

コロナウイルスによって、確かに3密と言われる、人と人とが出会い、語り合い、共に向かっていく私たちの宗教体制が崩されてしまいました。しかし、だからこそ左手のデッサン=私たちの根源的な叫びが見えてくるときなのかもしれません。神戸バイブルハウスも、人間のより深いところからの一人ひとりの叫びを活かせる場になればと思っています。