KBH所蔵 貴重本紹介 その11「新約聖書分冊 馬太傳、…志とぎやうでん」(続)
訳業は宣教師の一人が予め訳した箇所を全員で討論、採決する形で行われました。ある時は半日かかって、ようやく1、2節を決定したことも、まれではなかったようです。
当時、日本人補佐達にギリシア語原文に通じた者はおらず、数種の漢訳聖書と当時まだ文法や文体がまだ確立していない不完全な日本語に翻訳するほかなかったようです。
興味深いのは、日本人達は受けた教育のせいか、漢文調に傾き、一方宣教師達はふりがな調に傾く傾向があったことです。宣教師達の意見は、漢文は本文にあらず、教育ある日本人は漢文を読めるだろうが、一般の日本人には読めない。彼らに読めない翻訳などなんの意味があろうかということでした。
そうした討論の末、できあがった翻訳文は、当時の文体としてはいささか奇妙でしたが、わかりやすく、その後の日本文の方向を決めるすばらしい文体となっています。ちなみに「志とぎやうでん」の出だしはつぎのようになっています。
「テヨピロよ、我(われ)すでに 前書(まへのふみ)を 作(つくり)て 凡(おほよ)そイエスの 始(はじめ)て 行(おこな)へるところ 教(をしへ)し 所(ところ)を 録(しる)し、其(そ)の 選(えらび)たる 使徒等(しとたち)に 聖靈(せいれい)に 託(より)て 命(めいぜ)しのち 擧(あげ)られし 時(とき)にまで 至(いた)れり」。
これを「聖書 聖書協会共同訳」で読んでみますと、「テオフィロ様、私は先に第一巻を著して、イエスが行ない、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指示を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました」となります。
(展示委員 池田憲廣)