108号【編集後記】「立ち止まること」司祭 ダビデ 林 和広

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昨年から世界中に拡散し始めたコロナウイルスは依然として活動を続けております。コロナ禍によって出張も減り、対面式の会議はZoomなどのオンライン会議へと移行し、これが当たり前となってきました。オンライン会議は移動の必要がない便利なものではありますが、会議の頻度が上がるにつれて、今度は「Zoomfatigue(ズーム疲れ)」という言葉が広がり始めました。

コロナ禍により色々な活動が制限され、「立ち止まること」が増えていますが、それを打破し、前へ前へと進むために現代人はもがき続けております。前進し続けねばならないと考える現代人にとっては「立ち止まること」は何も生み出さない無意味なものだからです。

しかし、「立ち止まること」はコロナ禍で苦しむ世界を見渡しつつ、私たちのいのちにとって本当に大切なものは何かを内省する機会を与えてくれます。「立ち止まること」は決して無意味なものではありません。内省を通して自分の生き方を一新する機会をもたらしてくれるものなのです。

明石聖マリア・マグダレン教会
牧師 司祭ダビデ 林 和広