巻頭言
巻頭言 : No.95:「主の豊かな食卓に招かれて」大嶋 博道 師
投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2019-08-12 09:45:17 (106 ヒット)
日本フリーメソジスト神戸ひよどり台教会牧師/尼崎西教会 牧師 大嶋 博道「主の豊かな食卓に招かれて」ヨハネ21:9~19

福音書には、イエスがレビや徴税人など、当時のユダヤ社会の中で罪人と呼ばれていた人々と共に食事をされた場面が多く紹介されています。当時のユダヤ人にとって一緒に食事をするということは、相手を全面的に受け入れ、豊かな交わりをする一つの象徴、しるしでした。

テキストによると、復活されたイエスはガリラヤに行かれ、漁師のペトロやヤコブやヨハネたちにご自身を現わされました。一晩中、漁をして何も獲れなかった彼らに、イエスは「子たちよ、何か食べるものがあるか」と問われ、「さあ、来て朝の食事をしなさい」と、言われました。

一度はイエスを裏切った弟子たちとイエスとの食卓には、彼らのその後の生き方を変える大きな意味があったのです。幾つかを紹介します。

①喜びの食事―第一に、「食事」は「喜び」を表わします。
聖書は、神の国の喜びを「祝宴」にたとえています。ルカ15章の放蕩息子のたとえにあるとおりです。ガリラヤの弟子たちは、自分たちが一度は見捨てたイエス、裏切ったイエスが「さあ、来て朝の食事をしなさい」と言われた時、どれだけ嬉しかったことでしょうか! その食事はどれだけ喜びに溢れたひと時だったでしょうか!

②和解の食事―第二に、食事は「和解」を表わします。
パレスチナの一部に今でも残る風習に「スルハ」があります。これは敵同士であった者が、和解をする時に、そのしるしとして食事をするという風習です。イエスを裏切り見捨ててしまった弟子たちは、まさか、イエスが自分たちといっしょに食事をしてくださると思ってもみなかったことでしょう。ガリラヤ湖畔での食事は、イエスと弟子たちの和解の時であり、新しい関係を築き、再び、使命を与えられる神秘的で大事なひとときだったのです。

③いのちの食事―第三に、「食事」は「いのち」を表します。
食事を共にするという行為は、「いのち」が尊ばれ、生き生きとした活力に育まれて人と人とが共に生き、生かされていくことの表れであり、神の国の実現の見える「しるし」なのです。

ウイリアム・ハントの『世の光』の絵画のように、イエスは私たちを「真のいのちへと至る食卓」へと招いておられます。心からこの招待に与りましょう。祝福をお祈りいたします。

印刷用ページ このニュースを友達に送る

投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。
ミニカレンダー
前月2019年 12月翌月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
<今日>
神戸バイブルハウスの地図
神戸バイブルハウスのエントランス写真
クリスチャンセンター
神戸バイブル・ハウス
■住所:〒651-0086
神戸市中央区磯上通4-1-12
■TEL&FAX:(078)252-1966

■KBHの場所は、下のリンクをクリックしてください。別ウインドウでグーグルマップを表示します。
https://goo.gl/maps/Br3r6