投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2020-01-18 14:52:41 (3 ヒット)
神田 健次さん「ウルリヒ・ルツ先生と影響史的解釈」

10月13日、スイスのベルン大学名誉教授のウルリヒ・ルツ先生が逝去されました。心より哀悼の意を表します。享年81歳でした。

ルツ先生は、チューリヒ大学神学部で博士号・教授資格を得た後、1970年から72年まで国際基督教大学と青山学院大学で客員講師として教鞭をとられ、その後、1972年からドイツのゲッティンゲン大学で、さらに1980年からはスイス・ベルン大学で新約学の教授を務めました。ルツ先生に関しては、『EKK(プロテスタント・カトリック共同の聖書註解)新約聖書注解マタイによる福音書』(全4巻1985-2002年、邦訳:小河陽訳、教文館)によって、すでに日本でもその学問的業績がよく知られています。専門の新約聖書学の分野では、マタイ福音書注解の他、学位論文の『パウロの歴史理解』をはじめ数々の学術的著書を刊行され、また国際新約聖書学会の会長も歴任されるなど、国際的に著名な神学者でした。

筆者が、1971年4月に青山学院大学文学部神学科に三年編入した時、ルツ先生の新約聖書神学の講義を受講する機会がありました。初めて耳にするスイス人のドイツ語で高度な講義内容を展開するルツ先生と、その傍らで機関銃のような速度で通訳する佐竹明先生、お二人の先生による魅力的な講義は圧巻であり、心深く残っています。その後、約四半世紀後、ルツ先生と不思議な再会の時が訪れました。関西学院大学神学部とベルン大学神学部が学部間協定を締結する直前に半年間、客員研究員としてベルン大学神学部で研究期間を過ごした折、ルツ先生と再会し、大変お世話になりました。一度、山内一郎先生ご夫妻がベルンに来られた時には、当時ベルン大学に留学中であった辻学ご夫妻や嶺重淑氏、そしてフォーレンヴァイダー学部長ご夫妻と共に、ルツ先生宅にお招きを受け、楽しいひとときを過ごした思い出は忘れがたいものです。

そして、2004年には半年間、ベルン大学神学部と関西学院大学神学部との学術交流協定に基づいて関学神学部の客員教授として講義を担当して下さり、学生たちにも大きな影響を与えられました。また、東京や九州などでも特別講演を引き受けられ、その講演集『マタイのイエス:山上の説教から受難物語へ』(関西学院大学神学部編、日本キリスト教団出版局、2005年)も出版されています。また、このように関係の深い先生に、2005年9月には関西学院大学より名誉学位が贈呈されました。

ルツ先生の世界最高水準のマタイ福音書註解書は、教会の説教準備においても大変有益ですが、筆者の研究的関心で特に興味深いのは、註解書でも適用されている「影響史的解釈」という方法です。『講演集』収録の「影響史的解釈学と聖書の教会的解釈」によれば、影響史は、カトリック教会の「伝統」に対して、プロテスタントの聖書解釈を新しい洞察へと導くだけでなく、さらに、プロテスタント教会がこれまで軽視しがちであった非言語的領域に対する新たな理解をもたらすものです。影響史は、「言葉が聖書テキスト解釈の唯一の媒体ではなく、絵画、演劇、舞踏、音楽なども、聖書のテキストへの応答であり」、人間の信仰心全体に関わる聖書解釈を取り戻す手助けと言えるでしょう。このようなルツ先生の提唱する影響史的解釈は、当時、非欧米圏、特にアジアや日本のキリスト教美術を、福音の文化的受肉化、インカルチュレーションの課題として考えていた筆者にとって、重要な示唆を与えてくれるものでありました。神戸ゆかりの小磯良平、田中忠雄、堀江勝氏などの画家のキリスト美術も、このような聖書解釈の豊かな地平において新たな意味と楽しみをもたらしてくれるのではないでしょうか。

クリスチャンセンター 神戸バイブル・ハウス理事
関西学院大学名誉教授
神田 健次 さん

投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2020-01-18 14:38:33 (3 ヒット)
執事テモテ  遠藤洋介「夜景は残業でできている」
最近、24時間営業の見直しを行う企業が増えてきている記事を目にします。日本は世界の中でまだまだ経済的に豊かな国というイメージがありますが、お金だけではなく本当の豊かさ、聖書にあるような天に積むための富の獲得を果たすためには、今の忙しい働き方を見直すことも大切なように思います。

神戸は夜景がきれいなことで有名な街です。山側から街を見渡すと季節を問わず、街全体がイルミネーションのようにキラキラと輝いています。でもそのキラキラしている正体のほとんどは遅くまで営業しているお店やサラリーマンが残業することによって灯っている照明なのです。私の田舎は神戸とは違い、町を照らす明かりは外灯と不規則に点在する家屋くらいです。夜道は真っ暗で、正面に広がる日本海の沖のほうがはるかに明るさが目立っています。私の子どもの頃の夜景といえばポツポツと水平線に並んでいるイカ釣り漁船の「漁火(いさりび)」だったのです。

さて、クリスマスのシーズンが今年も始まりました。街中にイルミネーションが散りばめられ、テレビや店屋ではクリスマスキャロルが流れます。しかし、その一方では年末に向けてますます忙しさを増している方々がいることも覚えなければいけません。イルミネーションのキラキラの裏には企業戦士の日々の汗と涙のキラキラも一緒に輝いているのです。多くの働き人によってすべてのことが成り立っていることを忘れずにクリスマスを迎えたいものです。

投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2019-10-13 06:30:19 (101 ヒット)
鎌野 直人 理事  家を建てる

家を建てることは決して簡単なことではありません。
現在、私が奉職している関西聖書神学校では、新校舎建築が進んでいます。

筆者は、このプロジェクトの一番最初から関わっていることもあって、ほぼ毎日、設計事務所や工務店の方がたとお話をする機会があります。これまで礼拝堂建築に携わったことのない者が、このような大きな建築プロジェクトに関わっていますから、現場の方がたから多くのことを教えていただいています。

現在、神戸市のあるゼネコンがこの建築を請け負っておられ、多くの関連企業の方がたや職人の方がたがお越しになり、様々な作業が順序正しく進められています。そして着実に校舎は建て上げられています。このような作業を見て感じるのは、家を建てることは決して簡単なことではない、という当たり前のことです。

神戸バイブルハウスが聖書を通しての教会一致促進運動を願っていることは皆さんもご存じのことと思います。カトリックからプロテスタントまで、キリスト教の様々な教派の方がたが集まってその働きを進めています。

「教会一致促進運動」は英語で「エキュメニズム」と呼ばれ、この言葉の背後にはギリシア語の「(家を)建てる」という語があります。ですから、たとえて言うならば、一緒に家を建てるプロジェクトに取り組んでいるのが神戸バイブルハウスなのです。

しかし、家を建てることは決して簡単なことではありません。
そして、この家の建築がいつ完了するのか、分からないのも事実です。
それでもなお、家を建て続けているのです。

旧約聖書で家を建てるのは知恵です。「知恵は自分の家を建て、石の柱を七本、切り出し」(箴言9:1[新改訳2017])とあるとおりです。そして、知恵は、街行く人がこの家に立ち寄るように招いています(9:4-6)。

私たちが共に家を建てる働きにも、これまで以上に知恵が必要です。そして、家を建てるのは、そこに人びとを招くことが目的であることをも忘れてはならないことです。

これからも続けられる神戸バイブルハウスの働きのためにお祈りとご協力をよろしくお願いします。

クリスチャンセンター神戸バイブル・ハウス理事
関西聖書神学校校長 / 日本イエス・キリスト教団姫路城北教会 牧師

鎌野 直人 師

投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2019-10-13 06:00:00 (90 ヒット)
日本聖公会神戸教区執事テモテ  遠藤 洋介 執事「夜景は残業でできている」

残暑が続く中、朝・晩の涼しさや紅葉などで少しずつ秋へと変わっていることを感じられます。台風も号数は増えますが夏のそれとは違い、通り過ぎる速度も増しています。

この秋の台風のように、仕事も忙しい時はあっという間に過ぎていき、手すきになると途端に遅く感じます。同じだけの時間を過ごしてもスピードが違うのはなぜなのでしょうか。

最近、ニュースなどで24時間営業のお店の営業時間見直しが話題になっています。
今では当たり前になってしまっている24時間365日のお店ですが、私が子どもの頃は田舎育ちということもあり、ほとんどなかったように思います。ですから年末年始やお盆前には荷物持ちとして母親に連れられ買い物にでかけたことを覚えています。

聖書の創世記、天地創造で神さまはこの世界すべての環境やシステム、命を創造され、七日目を安息日と定め、祝福し聖別されお休みとされました。

これは人間に対してだけ定められたのではなく、この世界のすべてに対してお定めになられたのです。とはいえ、24時間365日が当たり前になってしまった現代のシステムを今さら変えることはできるのでしょうか。

定時で帰れない、休日に出勤する、有休を取れない、この休めない世界で、休むことを推奨する声がこれから広がっていったらと思います。

秋の台風のようにではなく、もっとゆっくりと時間を感じて過ごしていきたいものです。

投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2019-08-12 09:45:17 (131 ヒット)
日本フリーメソジスト神戸ひよどり台教会牧師/尼崎西教会 牧師 大嶋 博道「主の豊かな食卓に招かれて」ヨハネ21:9~19

福音書には、イエスがレビや徴税人など、当時のユダヤ社会の中で罪人と呼ばれていた人々と共に食事をされた場面が多く紹介されています。当時のユダヤ人にとって一緒に食事をするということは、相手を全面的に受け入れ、豊かな交わりをする一つの象徴、しるしでした。

テキストによると、復活されたイエスはガリラヤに行かれ、漁師のペトロやヤコブやヨハネたちにご自身を現わされました。一晩中、漁をして何も獲れなかった彼らに、イエスは「子たちよ、何か食べるものがあるか」と問われ、「さあ、来て朝の食事をしなさい」と、言われました。

一度はイエスを裏切った弟子たちとイエスとの食卓には、彼らのその後の生き方を変える大きな意味があったのです。幾つかを紹介します。

①喜びの食事―第一に、「食事」は「喜び」を表わします。
聖書は、神の国の喜びを「祝宴」にたとえています。ルカ15章の放蕩息子のたとえにあるとおりです。ガリラヤの弟子たちは、自分たちが一度は見捨てたイエス、裏切ったイエスが「さあ、来て朝の食事をしなさい」と言われた時、どれだけ嬉しかったことでしょうか! その食事はどれだけ喜びに溢れたひと時だったでしょうか!

②和解の食事―第二に、食事は「和解」を表わします。
パレスチナの一部に今でも残る風習に「スルハ」があります。これは敵同士であった者が、和解をする時に、そのしるしとして食事をするという風習です。イエスを裏切り見捨ててしまった弟子たちは、まさか、イエスが自分たちといっしょに食事をしてくださると思ってもみなかったことでしょう。ガリラヤ湖畔での食事は、イエスと弟子たちの和解の時であり、新しい関係を築き、再び、使命を与えられる神秘的で大事なひとときだったのです。

③いのちの食事―第三に、「食事」は「いのち」を表します。
食事を共にするという行為は、「いのち」が尊ばれ、生き生きとした活力に育まれて人と人とが共に生き、生かされていくことの表れであり、神の国の実現の見える「しるし」なのです。

ウイリアム・ハントの『世の光』の絵画のように、イエスは私たちを「真のいのちへと至る食卓」へと招いておられます。心からこの招待に与りましょう。祝福をお祈りいたします。

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