投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2019-08-12 09:45:17 (38 ヒット)
日本フリーメソジスト神戸ひよどり台教会牧師/尼崎西教会 牧師 大嶋 博道「主の豊かな食卓に招かれて」ヨハネ21:9~19

福音書には、イエスがレビや徴税人など、当時のユダヤ社会の中で罪人と呼ばれていた人々と共に食事をされた場面が多く紹介されています。当時のユダヤ人にとって一緒に食事をするということは、相手を全面的に受け入れ、豊かな交わりをする一つの象徴、しるしでした。

テキストによると、復活されたイエスはガリラヤに行かれ、漁師のペトロやヤコブやヨハネたちにご自身を現わされました。一晩中、漁をして何も獲れなかった彼らに、イエスは「子たちよ、何か食べるものがあるか」と問われ、「さあ、来て朝の食事をしなさい」と、言われました。

一度はイエスを裏切った弟子たちとイエスとの食卓には、彼らのその後の生き方を変える大きな意味があったのです。幾つかを紹介します。

①喜びの食事―第一に、「食事」は「喜び」を表わします。
聖書は、神の国の喜びを「祝宴」にたとえています。ルカ15章の放蕩息子のたとえにあるとおりです。ガリラヤの弟子たちは、自分たちが一度は見捨てたイエス、裏切ったイエスが「さあ、来て朝の食事をしなさい」と言われた時、どれだけ嬉しかったことでしょうか! その食事はどれだけ喜びに溢れたひと時だったでしょうか!

②和解の食事―第二に、食事は「和解」を表わします。
パレスチナの一部に今でも残る風習に「スルハ」があります。これは敵同士であった者が、和解をする時に、そのしるしとして食事をするという風習です。イエスを裏切り見捨ててしまった弟子たちは、まさか、イエスが自分たちといっしょに食事をしてくださると思ってもみなかったことでしょう。ガリラヤ湖畔での食事は、イエスと弟子たちの和解の時であり、新しい関係を築き、再び、使命を与えられる神秘的で大事なひとときだったのです。

③いのちの食事―第三に、「食事」は「いのち」を表します。
食事を共にするという行為は、「いのち」が尊ばれ、生き生きとした活力に育まれて人と人とが共に生き、生かされていくことの表れであり、神の国の実現の見える「しるし」なのです。

ウイリアム・ハントの『世の光』の絵画のように、イエスは私たちを「真のいのちへと至る食卓」へと招いておられます。心からこの招待に与りましょう。祝福をお祈りいたします。

投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2019-08-12 09:33:04 (27 ヒット)
遠藤 洋介さん「夏の匂い」 夏には匂いがあります。アスファルトの焼けた匂い、潮風の匂い、緑色の葉や草の水分が蒸発する匂い。毎年嗅ぐことで慣れてしまい、ふとした時にまた思い出したかのようにまた香ります。

昨年の梅雨は、未曽有の豪雨災害によって、西日本の各地が被災地になりました。夏にボランティアで訪れると、いつもの夏とは違う匂いが現場に漂っていました。どぶをひっくり返したような匂い、色々なものが腐敗した匂い、湿気た木材の匂い、悲嘆と緊張が混ざり合った空気とその匂い。決して慣れることのないそれらの匂いは強く私の中で印象付けられました。

「悲しむ人々は幸いである、その人々は慰められる」(マタイによる福音書5:4)
この日本で暮らしている限り、「被災」を避けることは難しく、地震や大雨、水害などを常に警戒せざるを得ません。しかし日本は「復興」という言葉を災害があるたびに発展・成長をさせてきたように思います。被災地で感じた夏とは違う独特な匂いは、被災者とボランティアの手によって作られる復興への希望の匂いでもあるのかもしれません。そしてその匂いは、何度も被災によって倒れてから立ち上がって復興してきた日本特有の匂いなのかもしれません。

今年も全国各地で大雨などによる被害が報じられています。被災されたすべての方々に神さまの慰めが与えられ、一日も早く日常が戻りますように祈っていきたいと思います。

テモテ 遠藤 洋介 (日本聖公会神戸教区 執事)

投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2019-06-15 15:52:37 (62 ヒット)
遠藤 洋介さん「大海のいそもとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも」源 実朝(みなもとのさねとも)の有名な和歌です。

今年はG.Wから非常に暑い日が続き、海開きを待たずして海水浴や潮干狩りに出かけた方もおられるのではないでしょうか。

打ち付けるような波が多い日本海側で育った私にとって、神戸の海は泳ぐには少し大人しすぎるように感じることがあります。ですが、内海特有の穏やかな波音は季節を問わず、聞く者の心を癒します。

不安定な今のこの世界が外海のように激しさを増すにつれ、私たちは祈りや黙想の中で心を穏やかにし、聖書や好きな本を読んだり、自分の時間を感じながらゆっくりと内海の穏やかさのような時を過ごしたいものです。今年も間もなく夏がやってきます。


テモテ 遠藤 洋介 (日本聖公会神戸教区 執事)

投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2019-06-15 15:25:47 (105 ヒット)
有木 義岳 理事「聖書のことばを生きる」

神様のみことばである「聖書」は「読む」ものと思われています。印刷された文字を目で読みます。毎日規則的に何章かを読んでおられる方もあります。そのように読み進んでいると、光り輝くように心に響く箇所を見出すこともあるでしょう。

わたしが制作している「心に光を」(ラジオ関西月---金朝5時5分---15分)のインタビュー番組に出演してくださったかたとのやり取りを紹介しましょう。この方は聖書を神のことばとして心に留めて、それを生きる、信じ従っておられる。これがまさしく聖書を読むということです。---心に留めておられる聖書のことばを読んでいただきましょう。

=「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実なかたですから、あなたがたを耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさいません。むしろ耐えることのできるように試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」

なんかあったときに、わたしはまだ耐えられるから、こういうことが与えられているんだ。これを乗り切れる力は与えてくださると思ったら、任せるというのか、安心しておれる、悲壮感にならずに夢が持てるというか…。

安心があります。やっぱり。まだまだこれぐらいのところは通り越せるんだとか、もっと大きなことが耐えられる、そういう力を与えてくださるんだと思うと、夢がもてる、安心感っていいますか、それがあります。日々心配のほうが多いですけど、そうじゃないんだ、そうじゃないんだ、心配しなくていいんだ、脱出の道もかならず与えてくださるんだと思うと、それが何より支えになっています。洗礼をうけてから30年になりますね。


クリスチャンセンター神戸バイブル・ハウス理事
「心に光を」ラジオ牧師
有木 義岳

投稿者 : kbhadm01 投稿日時: 2019-04-07 02:04:51 (115 ヒット)
遠藤 洋介さん先日、バイブルハウス主催のディナーコンサートが神戸聖ミカエル教会で催されました。大きな集まりではありませんが、とても温かい、交わりの多い時間でした。

コンサートの語源であるラテン語の「concerto」は「論争」や「競い合う」といった意味がありますが、使徒パウロは第1コリント書で「競技をする人は皆、すべてに節制します」と語っています。

豪華絢爛が必ずしも評価されるわけではなく、小さな集まりであってもその中の交わりを大切にできる、今回のようなイベントがこれからも続けられることを祈っていきたいものです。

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